忍者ブログ
ご訪問ありがとうございます!感謝力を高めて人間性を高め、最終的には良くないことであっても感謝出来るようになれると、意識が変わり、人間性の高い人が増えると世の中が変わります。まだまだ修行が足りない身ですが、一緒に頑張りすぎない程度に頑張りましょう。
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

知識ゼロからの神道入門
 

 発行日が2006年8月で、最新の本ではない。しかし、神道の多くが口伝えや伝説によって伝えられており、明確な教義をを持たず聖典というかたちで残されていないこともあって意外に神道については中々説明が出来ないのが現状である。そこでおさらいもかねて読んでみた。
 14、15ページに『自分たちを助ける現象全てに「神」の存在を感じた古代の人々』、22、23ページに「自然を崇拝し、祖先を敬うことを教える神道の教義」、140、141ページに「縄文の精霊崇拝と、弥生の祖霊信仰が融合した日本独自の宗教」と言う見出しで書かれ、本来は自分の身の回りにある全てのことやもの、目に見えるもの、見えないものの区別なく大切にする、という日本古来の姿勢が見られ、まさに「もったいない」という言葉がよく理解出来る。神話にも触れ110,
111ページには「炎の神の誕生で終止符が打たれたイザナキとイザナミによる神生み」という見出しで書かれ、どのような神々が誕生したのか細かく書かれているのだが、嘔吐物、糞、尿からも神々が誕生しており、いらないものはない、無用のものはない、全てが何らかのかたちで役割を負い、決して人目につかないようなところでも役に立っているという捉え方がわかる。一神教の場合は、神々と敵対する存在というのが必ずあるのだが、日本の神話にはそのようなのは見受けられず、イザナキが死者の国から戻って禊をしたときに沢山の神々が生まれており、このことからも基本的に「御用の悪」、何か新しいことやものごとが成就する目的で悪いと思われる出来事が存在するという捉え方をしていることもわかるのだ。
 他にも54、55 ページには様々な神殿の建築様式が説明されており、神社が好きな方や建築に興味のある方でしかあまり気に留めないような違いが書かれていることや、次の56 、57ページには鳥居と注連縄の種類が書かれており、これもよほど神社に興味がある人でないと関心を示さないようなことが書かれていて、意外に気づかないようなことでも説明されている。
 当然のことながら入門なので、基礎的な知識しか得られないのだが意外に当たり前すぎて何も気に留めないようなことが多く、何故そうなっているのか?それが何を示しているのか?ということが分からない、あるいは知らないことが多く、単なる習慣でしかない、と思われていることが宗教にルーツを持つものが多いということが分かる。意外に日常の習慣、もしくはあたりまえの概念になっていることに影響が出ていることが多いことが分かる。自分が特定の宗教を信じているのかいないのかは別にして、宗教の影響力はやはりすごいものなのだ。

知識ゼロからの神道入門
武光 誠

知識ゼロからの神道入門
幻冬舎 2006-08
売り上げランキング : 103297


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

楽天ブックスでお探しの方はこちらから。


ビーケーワンでお探しの方はこちらから。
PR
 「苦しい時ほど笑っていられるようはアホやバカ」が今こそ必要!

 村上和雄さんによる、2008年9月30日に初版発行とされている著書。本の表紙に英語のタイトルが書かれているのだが、「Stay Honest, Stay Stupid」となっており、さらに本のカバーの折り返しには「大きく深い鈍さを持て!利口であるより、愚直であれ」、裏の折り返しには「役立たずで、ムダなものこそ大きな突破口になる」と書かれ「愚か」さの重要性が強調されている。ここで言われている「愚かさ」とは、どういうことなのだろうか?村上さんは、ご自身の父親のことを霊として取り上げ、『東京大学で自然地理学を学んだあと、その学問、学歴をすべて捨てて、宗教組織の下働きとして働きはじめ、一生を尽くしてその人生を終えました。(中略)当時の東大出といえば、末は博士か大臣かで、同級生はみんな大企業の社長とか高級官僚とか偉い学者になっている。それにひきかえ父は田舎の組織で下足番のようなことをしている。(中略)同級生たちがリタイアして肩書きが外れ、みんな一人の人間に戻ってみると、信心の道を一筋貫いた自分のほうが、人間の厚みや深み、生きていることへの手応えや充実感などにおいてどうもみんなより勝っているように思える。「だから、おれは幸福だ」と負け惜しみでなく、しみじみ述べていたのです』と28、29ページに書かれているのだ。戻って12ページには『「苦しい時こそ笑っていられる」ようなアホやバカが、いまこそ必要なのだということを、私はこの本で述べたいのです。』と書かれ、視点をはっきりさせておられる。そして、その反対として同じく12ページに「笑いが減るのと平行するように、世の中に利口な人が増えました。頭の回転が早く、目先にことに鼻がきいて、機を見るのに敏。(中略)高級官僚や企業エリートたちなどの不祥事を見るにつけ、私はそうしたこざかしい知恵や知識の限界を目の当たりにするような思いがします。」と現実に起きていることに対することが書かれいる。確かに、会社ぐるみの不祥事が発覚した事件が報道されたりすると、努力して世間一般から良い学校と呼ばれているところに入り、同じく良い会社と呼ばれているところに就職し、社長になれたとしても、人生の後半、かなり年を取ってから不祥事を起こして逮捕されたら、今まで何のためにそれだけの努力をして来たのか分からないし、文字通り「人生を棒に振って」しまうので、最終的には賢いとは言えないだろう。
 しかし、このような内容の本が、宗教家と呼ばれている人ではなく、それこそ優秀とされている人によって書かれたこと事態が意味のあることなのだろう。不思議と言えば不思議なのだが、結論からいくと、「気づくこと」が大切なのかもしれない。どうせなら、どうしたら「苦しいときこそ笑っていられるアホやバカ」になれるのか?というコツも知りたかった。

アホは神の望み
村上 和雄

アホは神の望み
サンマーク出版 2008-09-24
売り上げランキング : 2001


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

楽天ブックスでお探しの方はこちらから。


ビーケーワンでお探しの方はこちらから。

 タイトルに偽りなし。気づくか気づかないかは自分次第なのだろうか?

 興山舎という仏教関連専門の出版社から2007年に亀井鑛さん執筆で出版された本。副題が「落語もイソップもみんなナンマンダの28話」となっており、世界各地の昔話や伝承話中心にそこから何が学べるのか?という事が書かれているのだ。最近は特に昔話や伝承話等に触れる機会が減っているように思えるのだが、大人になってから読み返してみると子供の頃には気づかなかった深いものが隠されているのだ。この本は、それに気づくようになるためにはうってつけである。39ページから44ページにかけて「仏の眼に善人も悪人もなくて 単純な教訓話にあらず 日本昔話 花咲か爺」という見出しで花咲か爺さんの話が取り上げられている。多くの日本人ならば物語を知っているはずで、今更という気もするのだが、42、43ページには『正直な善い人間であれば、いい報いがあり、意地悪で悪い人間なら、必ず悪い報いがあるという、上べだけの短絡的な、予測計算に立った人生観。そうでなく、私はこれらの昔話は、人間、一人の人が一つの事をしてある結果が出ても、別の人が同じことをしたからといって、同じ結果になるとは限らないのだ、ということを教えているのではないかと思います。およそ人は、それぞれ千差万別の因(タネ)を受けており、それに無限大につながり、ひろがる、様々な縁ーー背景や条件がかかわりあって、結果が出る。いわゆる仏教の縁起の法、因縁果の道理で一切は成り立つのです。(中略)そしてまた、人間に、単純に、正直者と意地悪と頭ごなしにレッテルを貼って、善と悪とに決めつけてしまうのも乱暴な話です。親鸞はその語録「歎異抄」の第十三章で、《(私が人殺しをしないのも)わが心の善くて殺さぬのではありません。逆に、殺すまいと思っていたって、そうせずにおれない原因と要因が組み合わせれば、殺さずにおれなくなる。それが人間なのだ。》と、より精密で厳格な人間感を述べています。』と書かれており、昔話により深い人生訓が含まれていることが示されている。
 他にも、イソップ物語の「ウサギとカメ」を使い、「人生に競争はいらない」という主題で書かれていたり、落語の「小言念仏」を使い、「仏壇は、教えと自分が向き合う教壇なのです。」と占められていたり、おなじみの話から学べることが具体的に書かれているので、自分がどれだけ理解しているのか、本質をつかんでいるのか?ということを点検するにはとても良い本で、タイトルに偽りなしである。結局、気づくか気づかないかは自分次第なのだろうか?

そんな生き方じゃだめなのが分かる本
アマゾンでお探しの方はすぐ上のタイトル文字をクリックしてください。


楽天ブックスでお探しの方はこちらから。




ビーケーワンでお探しの方は上の画像をクリックしてください。
 アセンション関連の概要を知るには最適!

 2010年6月30日発行になっている中丸薫さんの著書。比較的新しい方だ。こちらが本のタイトルを見て求めていた事と、実際に書かれていた事が多少違った、という事になってしまうのかもしれないが、読んでみてあれて、となってしまったところがある。タイトルからすると、いわゆる「アセンション」と言われ、これから起こるであろう変化にどのように備えたらよいのか?個人のレベルで出来る事は何なのだろうか?という事を考えてしまったのだが、そのような事は少ししか書かれていなかった。171、172ページに『日々の疑問を解決する「祈り」と「瞑想」』という見出しで書かれているところ、一部引用すると、「忙しい毎日の生活の中で、身の回りのことに心を常に揺すぶられ、自分の心を覗いても、湖面が波打っている。常にこのような状態では創造主の意思を感じることは出来ません。皆さんに投げかけられるメッセージは、皆さんの人生の中で本当にやるべきこと、自分でもやりたいと思っていたことと一致しています。そのインスピレーションは、日頃少し気になっていたことが解決するものだったり、今後の人生で目指すものに気づくことだったりと、小さなことから大きなことまで様々です。」その次の172ページから175ページに『「心」と「体」の浄化の具体的実践』という見出しで書かれているところこちらも一部引用すると「瞑想のとき、邪念がわいてきたら、いったん深呼吸して、その呼吸に集中します。背筋は伸ばしておきますが、緊張せず楽にやるために、壁に寄り掛かってやってもかまいません。」くらいである。あとは中丸薫さんの専門分野(!?)とも言うべき「陰謀論」がほとんどを占めている。いつもの事ながら、この手の本を読むとき、書かれている内容を全て鵜呑みにしてはいけない。何しろ自分で内容が正しいかどうか確認する術がないのと…著者や取材された人に直接コンタクトして証拠を見せたり、出してもらうような事が難しい…ということと、この手の本で「首謀者」とされている人はとにもかくにも狡猾なので、執筆に使われた資料の信憑性というのも全てが正しいと見てはいけないのだ。個人的な感覚だと、誰かが世の中を引っ掻き回しているという事だけは言えるかもしれない。
 56ページから58ページにかけて『「便利」はすなわち「無駄」を量産する事である』と言う見出しで書かれているところがあるのだが、これはこの本の中で秀逸で印象に残る箇所で、58ページには「多くの人間が生きていける穀物を家畜に与えることは、そのエネルギーは家畜をしばらく生かすことに使っているわけですから、相対的にエネルギーの分量を少なくしながらわざわざ食肉に換えている、ということになります。あまりにも無駄なことなのです。」と書かれている。ここ数ヶ月間の節電の奨励で、今までいかに無駄に電気を使っていたのか?ということを実感出来たのだが、便利さになれ過ぎてしまい、むしろものが「ない」生活の方がやりにくくなっているのだろう。
 文章が簡単で、読みやすいのが取り柄である。とりあえず、アセンション関連の事柄には一通り触れているので、概要を知りたい方にはお勧め。この手の内容の本を読みつけている人には物足りないだろう。

2013年、アセンション後の地球
中丸 薫

2013年、アセンション後の地球
青志社 2010-06
売り上げランキング : 19602


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

楽天ブックスでお探しの方はこちらから。


ビーケーワンでお探しの方はこちらから。
 我々は包囲されている!?もう宗教は役に立たない?常識は通用しない!?

 2011年4月にヒカルランドから出版されたベンジャミンフルフォードさんの著書で、手元にある本は2011年5月11日付けで第2刷と書かれており、この手の内容に関心を持っておられる方がいかに多いのか?ということを感じている。
 毎度のことながら、この手の本や文書を読むときに必要なのは「書かれている内容の鵜呑みは禁物」ということである。もちろん、本に書かれている内容で自分が本当に理解出来ることが全てではなく、必ずしもどこか一つ二つはあれれ?と思ってしまうところが出てくる、ということと、自分では確認、検証のしようがないことが書かれていることがあるからである。命がけでこの手の問題に取り組んでいるジャーナリストさんには申し訳ないことなのだが、書かれていることの内容を自分なりに生かすことを考えながら読むのが良いのかもしれない。
 タイトルに「イルミナティ」という言葉が入っているので、「闇の支配者」と呼ばれている集団について書かれている。「闇の支配者」とはかなり大昔から地球及び人類を支配すべく裏から様々な制度や文化等を操ってきたとされる集団で、その計画は何百年単位という人間の寿命を遥かに超えた長期間の計画で行われている、とされている。この本で書かれている中心的な内容は、一神教についてで、その矛盾や限界が沢山挙げられているのだ。キリスト教については「不思議に思うのは、なぜイエス・キリストは彼の宗教の本質を明確に書き記さなかったのだろうかということである」(186ページ)、「胎児の命乞いをする一方で、カトリックの洗礼を受けていない子供は地獄行きだと主張するとは、一体どのようなモラルであろうか?プロテスタントとて変わりない。彼らはイエス・キリストと直接的かつ個人的な関係を築いていない者は地獄に堕ちると言っている。当然ながら……そこには赤ん坊と堕胎された胎児が含まれているのだ。」(202ページ)、ユダヤ教については、「不思議に思うのは、なぜヤハウェは口伝ではなく文書による律法を授けなかったのだろうかということである。なぜあらゆる人たちにでなく一人だけに授けられたのであろうか?」(186ページ)、「ユダヤ教の聖書によれば、彼らはカナン人からこの地を力づくで没収したというのだ。だとしたら今度はパレスチナ人から奪い取ることになぜ罪悪感を覚えなければならないのだろうか?そして決して忘れてはならないのが、パレスチナ人は古代パレスチナに住んでいたペリシテ人の直径子孫だということである。つまり、彼らがパレスチナを自分たちの土地だと主張することの正当性を誰も否定できないのだ。」(190ページ)、『自らを「選ばれし民」と呼ぶことは、全ての他民族“untermenschen”「選ばれなかった民」……エホバによって拒否された不完全な人間だと即時宣告しているのと同じである。』(195ページ)、イスラム教については、「不思議に思うのは、なぜアッラーは無教養な田舎者でなく、読み書きの出来る人間にコンタクトしなかったのかということである。イスラム教徒はこれを偉大なる奇跡と考えているが、イスラム圏外の人は奇妙かつ不可解であり、信憑性に欠けると見なしている。」(186ページ)、「イスラム教には疑いをさしはさむ余地もなければ、議論の余地もない。イスラム教徒は地上で最も厄介な人間でなのある。彼らの預言者を漫画や小説の題材にすれば、処刑されるし、、イスラム世界における女性の役割を描いた映画を作っても……彼らに殺される羽目になる。」(197ページ)等である。そして、188、189ページには「密教は、真実、究極の変化、普遍的宇宙の全可能性に対して人々が開眼することについての取り組みでなのある。(中略)密教だけが人類の神性に対する感覚を回復させることができる。」、「ひざまずき頭を垂れる大衆、不満を漏らしながら怯えた奴隷の群れなどを容認する神などいないのだ。神は諸君にとっての友なのだろうか、それとも専制君主なのだろうか?もし友ならば服従すすことを望んだりするであろうか?神性との本当の関係を理解しない限り、人類が自由になることは決してない。」(242ページ)と書かれ、宗教の本来のあり方にさえ書かれているのだ。これでは本当に何らかの宗教を信じている、あるいは信心があると公言する人たちと、そうでない人のどちらが信心があるのかわからない。もうこれから宗教は役に立たない時代なのかもしれない。

イルミナティだけが知っている【洗脳工学篇】 闇の支配者「絶対構造」の超からくり (超☆はらはら)
ベンジャミン・フルフォード

イルミナティだけが知っている【洗脳工学篇】 闇の支配者「絶対構造」の超からくり (超☆はらはら)
ヒカルランド 2011-04-12
売り上げランキング : 33708


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

楽天ブックスでお探しの方はこちらから。


ビーケーワンでお探しの方はこちらから。


忍者ブログ [PR]
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリー
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
本の虫
性別:
女性
職業:
事務職の派遣社員
趣味:
読書、ヨガ、昼寝、音楽(クラシック、ジャズ)
バーコード
ブログ内検索