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ご訪問ありがとうございます!感謝力を高めて人間性を高め、最終的には良くないことであっても感謝出来るようになれると、意識が変わり、人間性の高い人が増えると世の中が変わります。まだまだ修行が足りない身ですが、一緒に頑張りすぎない程度に頑張りましょう。
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 タイトルに偽りなし。気づくか気づかないかは自分次第なのだろうか?

 興山舎という仏教関連専門の出版社から2007年に亀井鑛さん執筆で出版された本。副題が「落語もイソップもみんなナンマンダの28話」となっており、世界各地の昔話や伝承話中心にそこから何が学べるのか?という事が書かれているのだ。最近は特に昔話や伝承話等に触れる機会が減っているように思えるのだが、大人になってから読み返してみると子供の頃には気づかなかった深いものが隠されているのだ。この本は、それに気づくようになるためにはうってつけである。39ページから44ページにかけて「仏の眼に善人も悪人もなくて 単純な教訓話にあらず 日本昔話 花咲か爺」という見出しで花咲か爺さんの話が取り上げられている。多くの日本人ならば物語を知っているはずで、今更という気もするのだが、42、43ページには『正直な善い人間であれば、いい報いがあり、意地悪で悪い人間なら、必ず悪い報いがあるという、上べだけの短絡的な、予測計算に立った人生観。そうでなく、私はこれらの昔話は、人間、一人の人が一つの事をしてある結果が出ても、別の人が同じことをしたからといって、同じ結果になるとは限らないのだ、ということを教えているのではないかと思います。およそ人は、それぞれ千差万別の因(タネ)を受けており、それに無限大につながり、ひろがる、様々な縁ーー背景や条件がかかわりあって、結果が出る。いわゆる仏教の縁起の法、因縁果の道理で一切は成り立つのです。(中略)そしてまた、人間に、単純に、正直者と意地悪と頭ごなしにレッテルを貼って、善と悪とに決めつけてしまうのも乱暴な話です。親鸞はその語録「歎異抄」の第十三章で、《(私が人殺しをしないのも)わが心の善くて殺さぬのではありません。逆に、殺すまいと思っていたって、そうせずにおれない原因と要因が組み合わせれば、殺さずにおれなくなる。それが人間なのだ。》と、より精密で厳格な人間感を述べています。』と書かれており、昔話により深い人生訓が含まれていることが示されている。
 他にも、イソップ物語の「ウサギとカメ」を使い、「人生に競争はいらない」という主題で書かれていたり、落語の「小言念仏」を使い、「仏壇は、教えと自分が向き合う教壇なのです。」と占められていたり、おなじみの話から学べることが具体的に書かれているので、自分がどれだけ理解しているのか、本質をつかんでいるのか?ということを点検するにはとても良い本で、タイトルに偽りなしである。結局、気づくか気づかないかは自分次第なのだろうか?

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